代表取締役社長
田中 賢三
 
大麦は、ふるさと、昔なつかしい、自然といったイメージを連想させます。麦ごはん・麦茶などのおおむぎは、人類最初の穀物として5000年の間、現在に至るまで世界で利用され続けてきました。近年、生活習慣病等、健康面 においての研究がすすみ、大麦が大いに効果があることがどんどん判ってきました。この麦の持つ健やかなイメージや特徴を大切にし、これからも大麦を皆様に利用されやすい形にしてお届けしたいと思います。

社 名 日本精麦株式会社
代表者 代表取締役社長 田中 賢三
住 所 神奈川県高座郡寒川町田端1590−5 (郵便番号253-0114)
TEL 0467−72−3620(代)
FAX 0467−74−2002
E-mail mugi@nichibaku.co.jp
創 業 明治28年2月28日
設 立 昭和25年1月1日
資本金 9,000万円
従業員数 60名
営業所 <東京営業所>
〒101-0021 東京都千代田区外神田2-5-5 喜多村ビル302
TEL03−3251−5441 FAX03−3251−5442
業務内容 大麦を原料とした、ナチュラルで健康的な食品の製造、販売を手がけています。
営業品目 精麦製品(ビタバァレー、押麦、米粒麦等)、麦茶(湘南麦茶、丸粒麦茶、ラカンカ入り麦茶、ハーブ麦茶等)、乾麺(大麦めん、もちむぎうどん、大麦そうめん)、はとむぎ製品(精白はとむぎ、はとむぎ茶、はとむぎきな粉、はとむぎ粉)、ウーロン茶、大麦粉、麦糠

明治28年 藤沢町(現在の藤沢市)において米穀肥料精麦業を創業
昭和10年 県内都市化を見越して米穀肥料商を廃業。
昭和15年 横須賀海軍軍需部委託精米工場となる。藤沢第二工場を竣工。
昭和17年 藤沢第2工場類焼。茅ヶ崎に移転し昭和19年茅ヶ崎工場として竣工。 食糧庁指定委託加工工場並びに横須賀海軍軍需部委託精米精麦工場となる。
昭和20年 終戦と共に精米廃止、精麦のみとなる。
昭和25年 個人企業を日本精麦株式会社と法人にする。
同 年 本社を藤沢から同所に移転。
昭和27年 東京営業所開設。
昭和29年 藤沢第一工場を茅ヶ崎に移転、北茅ヶ崎工場とする。
昭和38年 名古屋営業所開設。畜産局指定工場となり、大麦単体飼料委託加工開始。
昭和40年 本社を北茅ヶ崎工場に移転。本社工場と改称。
昭和41年 静岡出張所及び大阪営業所を開設。
昭和42年 本社工場内に胚芽・麦茶工場を新設。
昭和43年 麦茶製造販売開始。本社工場内に原料バラ受け 施設・原料サイロ原料精選工場を新設。
昭和45年 本社工場内に米加工工場新設。原材料用米政府 委託加工開始。
昭和48年 東京営業所を改築。 株式会社麦穂を設立して立体駐車場を営業。
昭和50年 創業80周年を迎え、本社工場内にサイロ増設・低温倉庫新設 ・麦糠自動計量包装設備・公害防止施設増設等一段と合理化を計る。
昭和51年 麦茶工場増設。
昭和55年 大麦単体飼料バラ出荷設備を新設。 はとむぎ製品を製造販売開始。
昭和56年 大麦めんを開発、販売開始。
昭和59年 はとむぎ工場を新設。
昭和60年 株式会社麦穂に立体駐車場を増設。 はとむぎ茶焙煎設備を新設。
昭和61年 コンピューター制御きのこ生産プラントを新設。
平成 4年 北茅ヶ崎工場を再開発のため本社屋を元町に移設。 麦茶工場、物流センターを北茅ヶ崎工場構内に移転集約。 米加工工場、大麦単体飼料工場閉鎖。
平成 7年 創業100周年を迎え、ニチバクビル竣工、 茅ヶ崎サティ開店。
平成 8年 施設園芸工場閉鎖。 静岡出張所改築、スキヤ磐田店開店
平成 9年 麦茶ティーパック包装工場稼動。 日本レンタカー(株)と賃貸開始。
平成11年 名古屋営業所閉鎖、静岡出張所を東海営業所に改称。
平成12年 北茅ヶ崎工場(麦茶工場、原料サイロ、物流センター、はとむぎ工場)を湘南工場(寒川町)に移転。
平成13年 茅ヶ崎住宅公園賃貸開始。
平成14年 本社(元町工場)を寒川町に移転。
平成15年 大阪営業所、東海営業所を廃止し、大阪は出張所を配置、東海は本社営業部に統合した。
平成16年 むぎそば「でん」開店。ロコスポーツ賃貸開始。
平成17年 mokichi(レストラン)賃貸開始。

日本精麦株式会社 
住所:神奈川県高座郡寒川町田端1590−5
TEL:0467(72)3620
FAX:0467(74)2002
e-mail:mugi@nichibaku.co.jp